大航海時代の技術革新による世界市場の誕生(3)

世界市場の誕生とポルトガルの盛衰

1450年~1650年にかけての時代は、ヨーロッパにとっての変革期に相当する。東インド(アジア)や新大陸(アメリカ)といったこれまでにない遠方との貿易が頻繁に行われるようになったこの時代、商業は質・量ともに大きな変化を見せた。そのため「商業革命」という言葉でその変化の大きさを表現することもある。大航海時代を迎えたヨーロッパは、自らを中心とするグローバルな経済を誕生させ、「世界市場」を形成していく10)。一連の発展にはイベリア半島のスペインやポルトガルとその商船や船乗りが、地球上の多くの地域をモノによって一つにつなげることに貢献した

ポルトガルはインド貿易を支配しようとした。武力で香辛料・香料貿易を支配するため好戦的な総督が送り込まれたこともあった。しかし、結局ポルトガルはこれらの貿易の独占には失敗した。戦略的に見て重要な港や要塞を支配して海上ルートを確保し、商業上の権益を掌握しようと試みたが、紅海から地中海を経てベネチアへ向かう伝統的な香辛料・香料の流通は、16世紀いっぱいは維持されため、思惑通りにはならなかった。

ポルトガルは、また17世紀初頭に相次いで東インド会社を打ち立てたオランダとイギリスがアジアに進出したことにより競争に直面する。ポルトガルは、インドではゴア、中国ではマカオといった植民都市を維持することができたが、かつてのような活力を失っていった。

大航海時代の技術革新による世界市場の誕生(2)

ポルトガルにおける帆船航海の技術革新

コロンブスが1492年の西インド諸島に到達し、ヨーロッパと南北アメリカ大陸の間に永続的な航路を確立した。背景には、3~4本マストの帆船への進化、地中海と北ヨーロッパの優れた造船技術の伝統が組み合わさったこと、さらにアストロラーベ、六分儀、羅針盤といった航海器具をとりいれることなど航海技術の発達が挙げられる。

三角帆を用いれば、帆の向きを変えることで進路の細かい調整が可能となり、操船がより容易となった。羅針盤によって、沖合での距離の短い航海を可能とした。陸地のランドマークやスカイラインを確認しながら海岸線に沿って航海する航法はなくなり、天体観測ができなくとも航海は可能となった。航海の経験の蓄積は、航路や地形、港湾に関する知識の蓄積につながった。それらの知識が航海図や航海誌の作成に生かされ、確実な航海が可能となったのである。

国土の陸地部分をスペインに取り囲まれ、大西洋に面した海岸線と数々の良港をもつポルトガルでは、人々が早くから海へ乗り出し、西アフリカ圏や西大西洋の島々への航海を経験し、熟練した船乗りを擁し、漁業にも力を入れていた。小国ポルトガルが一時期大航海時代をけん引する海洋国家にまで成長したのは、王子エンリケの貢献による部分が大きい。国王ジョアン一世の王子エンリケ(1393-1460)は航海王子ともいわれ、探検家や航海者のパトロンとして探検・航海事業を奨励した。彼は国土南端のザグレス岬に研究機関を設け、船舶の設計や航海技術、海図の作成や探検、天文学など海事にまつわる事柄を広く研究する体制も整えたのである。

エンリケ自身はインド到達という快挙を耳にすることなく生涯を終えたが、航海に関する知識の増大と技術向上は、ポルトガルがアフリカ西岸など大西洋で勢力を拡大していくうえで大きな寄与となった。インド、カリカットに到着したヴァスコ・ダ・ガマ、スペイン艦隊を率いて世界周航を成し遂げたマゼランもポルトガル人である。

大航海時代以前のヨーロッパにおける主要な貿易は、地中海周辺とバルト海を結ぶものが中心である、この地中海とバルト海の交流の中から出来上がってきたのが、大航海時代の立役者であるカラック船である。カラックは3~4本マストを備えた船で、大西洋の航海用にポルトガル人によって開発され、16世紀に大西洋貿易で広く用いられた船であった。 当時の造船技術の一つの到達点をしめしていた。

このタイプの船は北欧の四角い帆を特色とする船(コグ)と地中海のタテ帆の船(ラテーン)とが、相互に影響を与えてできた帆船で、基本的には三角マストであった。真ん中のメイン・マストには四角い帆が張られ、これが主要な推進力を生み出し、前マストは順風の時に針路を安定させるためのもの、後ろマストは操船用のもので、ともに三角帆であった。船体はずんぐりとしており、船体の縦と横幅の比率が三対一くらいで、スピードは遅く、喫水が深く、そのために座礁しやすかったが、長距離の航海には向いていた。コロンブス、マゼランはカラック船を使って長い航海を乗り切った。

ポルトガル人は大型の船を建造するのを好んだが、そうした深い船体の船は探検には向かなかったこともあり、ヴァスコ・ダ・ガマはカラベルの小型船3隻と、もうひとまわり小型の補給船でインド航海探検を行った。カラベル船はポルトガル人によるもうひとつの発明品であった。

ヨーロッパ・アジア交易は、大航海時代以降、オランダ、イギリスによる東インド会社が設立され、交易が盛んになるが、技術面では東ンド貿易船はカラック船に細かい改良が加えられたもので大きな変化はなかった。ただし船体は次第に大きくなる傾向があった。15世紀初頭200トン(コロンブスのサンタマリア号233トン)、18世紀初め400トンが標準、18世紀末には1000トンを超える。帆船は大航海時代以来、1830年台にアメリカでクリッパー船が出現するまで、基本的には長い停滞期に陥っていたといわれている。

大航海時代の技術革新による世界市場の誕生(1)

大航海時代

大航海時代とは1400年頃から1650年頃までの時代を指す言葉で、ヨーロッパがアジア貿易のための新たな航路を確保する過程で出現した時代である。大航海時代以前のヨーロッパにおける主要な貿易は、地中海周辺とバルト海を結ぶものが中心で、まだ地球全体は視野にはいっていなかった。

新時代出現のきっかけとなったのはトルコ系オスマン帝国の西方に向けた進出である。東ローマ帝国を滅亡させたイスラーム勢力の領土拡大は、地中海でアジア貿易など手広く商業活動を営んできたジェノバ商人にとって大きな打撃で、これまで地中海を経由していたヨーロッパ・アジア間貿易の展開を難しくした。結局は、喜望峰を経由する航路がアジア貿易の経路となるが、この東インドならびに新大陸にむけた航路が形成される過程で貿易の窓口となったのは、まずはイベリア半島、やがては北海沿岸といった大西洋沿岸の港湾都市であった。ヨーロッパでは大陸北西部の経済的な比重が高まってゆくのである。大航海時代の到来は、旧来のアジア貿易の舞台であった地中海から西欧地域へとヨーロッパ経済の比重を移動させていった。

政治的な背景はともかく、大航海時代を出現せた人々の動機には、経済、宗教的な動機があった。

経済的な動機については、南欧を中心とした商人たちは、イスラーム商人のネットワークを経由せずとも香辛料や香料の入手が可能な新たなルートの開拓を目指していた。14世紀中ごろに黒死病の大流行を経験した後のヨーロッパでは、香辛料や香料の薬剤としての用途が注目され、商品としての価値を高めていた。

宗教的な動機も強かった。オスマン勢力の拡大に直面していたヨーロッパでは、ブレスター・ジョンという架空の王が人々の耳目をあつめるようになり、アジアにあるという彼のキリスト教王国を発見してともに手を携えてイスラーム教徒に立ち向かおうという期待が高まっていたのである。

ヴァスコ・ダ・ガマに東方に行くように命じたポルトガル国王ジョアン一世は、ダ・ガマにとにかく発見し、東方の財宝を見つけ、東方に存在すると信じられていたキリスト教大国と提携することで、海を支配する際には同盟国となると期待した。

物流史

玉木俊明『物流は世界史をどのように変えたのか』

インターネットの発展が、グローバリゼーションの大きな要因であると考える。それは間違いなく正しい。だがそれと同時に、物流がどのように発展してきたのかという側面に目をむけなければ、グローバリゼーションの重要な一面を見落とすことになってしまう。世界中の商品が自宅に届くということは、国際的な物流システムの発展があったということである。したがって、グローバリゼーションの研究とは、物流システムの発展の研究と言い換えることもできよう。けれども物流の歴史の研究はあまり進んでいない。