イギリス東インド会社の組織の変化

1698年に旧会社に対抗して「新東インド会社」が設立された。このとき国王ウィリアム3世は旧会社の特権を三年先に取り消すと通告していたが、1700年頃、旧会社の経営状態が改善されたため、1702年7月、両会社と国王との間で協定が成立し、1709年まで平等の立場で東インド貿易に参加することになる。新旧両東インド会社のそれぞれから等しい人数の委員を出し、この管理委員会が貿易を営むことになった。

ロンドン本社には、株主総会と取締役会のほかに取締役が担当する各種委員会があって、経営の実務を行っていた。インド現地には、ムンバイ、マドラス、コルカタに各管区長がおり、その下に各管区評議会、さらに現地にも各種委員会があった。ロンドン本社にはそれ以外に事務局があったが、インドの各管区にも事務局があり、何人かのスタッフが勤務していた。インド現地には、各管区の指揮下に各地方の従属商館がおかれていた。イギリス東インド会社は、「本国に本社がなくアジアに強力な中心拠点を持っていたオランダ東インド会社と対照的で、本国に安定し確立した本社機能があり、アジアにはバタビアに相当するような中心拠点がなかった。」

組織的にはオランダ東インド会社のように地域性の強い組織ではなく、機能別の多段階階層組織であり、中央集権的で効率的な組織であった。オランダ東インド会社のように垂直統合が進まず、市場を活用できた点で取引コスト削減が可能となり、効率的な組織を生む結果となったと考えられる。

ガバナンス構造はどうか。「合同会社では、新東インド会社の意見を入れて、大株主の支配を最初から制限し、株主は誰もが一人一票の投票権を持って総会に参加できるシステムをとった。近代的で民主的な会社運営を行うために、総会の地位強化も図った。1713年の総会では取締役会代表(議長)と副代表(副議長)を置くことに決められた。こうして誕生した「合同東インド会社」こそが、1858年まで存続したイギリス東インド会社である。」

 「人民評議会」といわれただけあって、株主総会には、イギリス人、フランス人、アメリカ人だれでも普通の市民であれば差別はなかった。宗教の差異も問題にされなかった。性の差異も関係なかった。東インド会社は株を買った人ならだれでも株主とよばれ、株主総会に出ることを許された。

 株主総会のもっとも重要な機能は、24人の取締役を選出することであった。合同東インド会社の経営にあたったのは、24人の取締役が構成する取締役会であった。17世紀中頃の改組を通じて、「全社員の有限責任制」の確立や「会社機関」の形成など、株式会社としての形態的特質を具備し、オランダ東インド会社に欠けていた「出資者総会」(株主総会)を備えた「民主型」株式会社へと大きな質的転換を果たした。

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