蒸気船の発達による世界市場の一体化(1)

イギリスの状況 

1830年代、イギリスとアメリカ間の大西洋定期航路ではアメリカ定期帆船の全盛期であった。アメリカ定期帆船がスピードを重視した造船技術に基づいて建造された新式の帆船であったのに対して、イギリスの帆船はスピードを全く無視した旧式の老朽帆船であった。1830年代は北大西洋航路における郵便物、旅客および高級貨物の輸送をアメリカ定期帆船が寡占していた。背景には、1773年に制定されたイギリス商船における船舶重量測定Builder`s Old Measurementが直接的、間接的に、イギリスにおける造船設計の進歩を結果として著しく阻害したこともあった。

しかし、1807年に実用的な蒸気船が発明されて以降、蒸気船はイギリス、アメリカなど世界各国の国内輸送で積極的に活用され、物流システムを大きく変えてゆく。蒸気船と比較してスピードの点ではさほど劣らないとしても、航海の規則性では帆船は蒸気船に著しく劣ったため、蒸気船は長距離航海において帆船に取って代わり、航路の範囲を大きく延ばした。

イギリスで蒸気機関が発明されたが、背景にはイギリスの特殊事情がある。大航海時代を迎えて大量の船舶をつくるために木材不足となったため、建築にはレンガや石材を使用し、暖房や煮炊きなどの民生用の燃料には、世界に先駆けて石炭を利用するようになっていた。石炭を大量に掘り出すために炭鉱は深くなり、その排水のために馬がポンプの動力として使われたため飼料代が高騰した。安い石炭と高い飼料という構造がイギリスをいち早く蒸気機関へと向かわせたのである。また、発明するエンジニアを支える資本家の存在、蒸気機関の材料となる鉄鋼を生む製鉄技術、精密加工する工作技術、エンジニアを守る特許制度、社会的展開のための不可欠な株式会社制度なども整っていた。現代に通じるような自動機械が出現したのは18世紀のイギリスであるが、それは偶然ではなく、安くてより良い製品を望む消費者の要請に応えるために、鉄鋼製品や工作機械といった周辺機器の発達に、新たな知識を組み合わせてみようという企業家たちの試行錯誤の結果であった。

蒸気船は、イギリスではヨーロッパ大陸やアイルランドなどとの国内、中距離の航海を中心に発達してきたため、波が荒く長距離の航海を要する外洋へ乗り出すことには、様々な技術的限界があった。一つには甲板の水密性を確保できないこと、更に大きな問題は、蒸気機関の熱効率が悪かったので、長距離の汽走に必要な量の石炭を積載できないことであった。石炭をいっぱい詰め込めば、乗客や荷物のためのスペースが確保できないからである。この課題を克服するためには、蒸気機関の燃料効率を上げるとともに、船を大きくし、船に積み込まれる石炭の相対的比率を下げる必要があった。

こうした状況下、1838年イギリスで蒸気船会社が3社設立され、大西洋横断に挑戦した。背景にはイギリス政府からの郵便補助金獲得競争があった。多くの汽船会社が輸送品として目をつけたのが、かさらばないで高価な積荷である郵便物であった。当時イギリスでは、郵便物は官営の帆船郵便船で運ばれることになっていた。1833年には郵政長官が補助金をだして蒸気船会社を積極的に育成する方針へ転換した。補助金を出す代わりに、軍事目的に転用可能なように、船の性能などに海軍が注文を付けられるようにしたのである。この政策の変更によって、蒸気船は郵便蒸気船として活路を見出していくことになる。

1840年王立イギリス・北アメリカ郵便会社、通称キュナード・ラインも設立された。最終的に郵便補助金を獲得したのはこのキュナード・ラインであった。1848年頃にはアメリカ定期帆船もキュナード・ラインに押されて郵便物と旅客の輸送を徐々に奪われた。定期船市場おいて要求される速力と規則性がいずれにおいても帆船は蒸気船に劣っていたためである。リバプール・ニューヨーク間の定期航路の場合、西航航海では帆船の場合31~34日かかるところ蒸気船では17~18日であった。帆船による航海の不安定さとくらべると、定期蒸気船の長所は明らかで、安定していて、速かった。

一方、郵便補助金が獲得できなかったイギリス蒸気船会社3社は、1848年までに破産・解散・運航停止に追い込まれた。イギリス蒸気船会社3社がアメリカ定期帆船会社との競争に敗れて破産、運航停止を余儀なくされたのは、当時の木造外輪船という技術水準の蒸気船であれば技術的にも経済的にも定期航路の開設がある程度可能ではあったが、木造外輪船では激しい競争、特に運賃戦に耐えるほどの収益性を確保できなかったからである。蒸気船は確かに速力や規則性において帆船に勝っていたが、帆船に比べて建造費が著しく高価で、また航海にあたっては多量の燃料炭をつみこまなければならず、船舶の重量に比べて極めて輸送コストが割高であった。

キュナード・ラインが一人勝ち得たのはイギリス政府の郵便補助金が帆船に対する運航差額補助金としての性格をもって支給されていたからであった。当時、技術的に優れた蒸気船による物流ビジネスも国家の補助なしには成り立たなかったのである。